「〆張り糯(しめはりもち)」は
大正時代に農業試験場で育種した新種なんです。
それが「うめぇ」と評判になって、
みんなが作り出したんですが、
数年やって気づいたのは、栽培の難しさです。
「食べりゃうまいけど、最悪の米だ」
「銭にならんような米はダメだ」と、
「こんなん、間尺に合わん」と、
どんどん脱落者が出てしまった。
それはこの品種に、
病気に弱い、倒伏しやすい、
発芽不良を起こすという弱みがあったからでした。
その後病気に強く育てやすい糯米の品種である
「こがねもち」や、やわらかい「羽二重糯」が
主流になっていって、
すっかり「〆張り糯」はほとんど忘れられました。
この「〆張り糯」を栽培し直せないか、
永田農法の知識と技術、現代の環境のなかで
自分でやってみたい、と考えたとき、
まず困ったのが種子の入手でした。
そこで農業試験場を訪ねたんです。
もともと農業試験場がつくったものですから、
きっと記録として残っているだろうと考えたんですね。
そうしたら、やはり、ありました。
そしてほんの一掴みの種もみを、
当時ぼくが在籍していた「よしかわ杜氏の郷」に
譲ってもらい、育成の研究をはじめたんです。
それで、低農薬・無肥料の
基本的な永田農法でつくってみたんですが、
1年目はだめでした。
育てている途中で稲が倒れてしまうんです。
それでも穫れることは穫れたんですが、
2年目には、さらにスパルタで、
必要最小限の水で、
稲本来の生命力と抵抗力を引き出す栽培方法で
育ててみたんです。
そうしたら、それが成功して、
倒れることも、病気もなく育ってくれた。
もともと量の穫れる品種ではないので、
まだ商品として流通させるレベルの
量ではなかったんですが、
お米は「一粒万倍」と言われるくらいに
増える作物ですから、作付面積を増やし、
3年目には商品化することができました。
うまいんですよ。糯米は
「羽二重糯(はぶたえもち)」というやわらかいの、
「こがねもち」という硬いのが有名ですが、
そのちょうど真ん中が「〆張り糯」だといえます。
ぼくは「シルキー」っていうんですが、
きめがこまかく、のびすぎず、歯ごたえがあって、
おこわにしてもいいし、餅にしてうまい。
けどね、鳴かず飛ばずでしたよ、できた頃は。
それでもおいしいと言ってくれる人に届けばよいと、
地道につくって、地道に売っています。
いちばん販売量が多いのが東京五反田にある
「進世堂(しんせいどう)」という和菓子屋さんが
大福やあられに使ってくださってます。
20年くらい前かな、
五反田の商店街の一同さんがバスを貸切って
ぼくんとこに田植えツアーに来たんですよ。
そのときに進世堂の大将がこの餅を気に入ってくれて、
それまでは違う糯米でつくっていた大福を、
これに替えてくれたんです。
あと「江戸みやげ」という
あられにも使ってくださってますね。
その次に多いのが、新潟の百貨店にあるお米売り場です。
ずっと糯米で(精米して)販売をしていたんですが、
この数年で、切り餅をつくりはじめました。
そのほうが、すぐにこのおいしさをわかってもらえるから。
ぼくはこの餅を雑煮にして食べるのが好きです。
こんがり焼いてから、
かつおだしと醤油のつゆで煮るのが、
うちのほうの食べ方です。
具は、干しぜんまいを戻したもの。
これをぜいたくに、真っ黒くなるくらい入れます。
あとはちくわ、油揚げ、鶏肉かな。
焼き餅を食べる時には、お湯にくぐらせてから、
おろし大根に醤油とか、きなことか、あんことか、
そんなのとからめて食べてますね。